〜90 91 92 93 94 95 96 97 99 99 00 01 02 03
Back
91model
 中学を卒業した1991年4月、周りの勧めもあってアメリカでレース修行をすることにした。もちろん目標は世界グランプリで勝てるライダーになること。ダートトラックやモトクロスを選んだのは、スライドコントロールを身につけるためだった。
 金曜日はモトクロスのナイトレースを2ヒート、土曜日にはダートトラックのレースにエントリー。レース以外の日も練習を重ね、1週間のうち休みは1日だけという、レースと練習の日々だった。
 モトクロスはサクラメントレースウェイのノービス125ccクラスでシリーズチャンピオンを獲得。スーパークロスを目指すような連中と戦ってもぎとったチャンピオンだったから、今になってみてもなかなかの成果だと思う。
 ダートトラックはシーズン途中からひとつ上のクラスにステップアップをしたので、シリーズチャンピオンにはなれなかったけど、ローダイサイクルボウルのノービスオープンクラスで10勝近くはできた。
 ローダイサイクルボウルはケニー・ロバーツ(シニア)が育った由緒あるレーストラック。僕と同じ時期にジュニアや弟のカーティスもレースにエントリーしていて、友達になった。
 このアメリカ修行の時から、「Norick」という呼び名を使うようになった。「Norifumiだと長いから」ということで、修行の間にも面倒を見てくれた中尾省吾さんが付けてくれたニックネームだ。「Norick Abe」は、英語圏の人たちは「ノリック・エイブ」と読むので、完全に外国人名みたいだった。エントラントが何百人もいるようなレースだったけど、日本人が僕一人ということもあって、たくさんの人に覚えてもらえたと思う。
 9月に帰国して、すぐに原付免許を取得。10月には、サーキット毎に開催されていた関東選手権ノービス125ccクラスに参戦した。エントリーしたのは、間瀬、筑波、菅生の各最終戦。どのレースも、ライバルは年間を通して戦ってきたライダーたちで、僕はアメリカから帰ってきたばかりでロードレースは未経験。超初心者だった僕はとにかく真剣だった。
 僕にとってロードレース初参戦となる間瀬でのレースでは、デビューウイン。次の筑波でも一時トップを走ったものの、みんな決勝では新しいタイヤを履いていることを知らず、練習からずっと同じタイヤを使っていた僕はずるずると後退して、確か5〜7番手だったと思う。そして最後のSUGOはレインレースで、転倒リタイア。
 明らかに練習不足での3戦だったけど、この時の走りをOXレーシングの社長が「125ccなのに500ccみたいな豪快な走りをするヤツがいる」と注目してくれていて、翌年への道が開けた。

Copyright-rogo
Copyright-rogo Copyright(C) 2003 norickabe.com All rights reserved.