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OXレーシングの社長に走りを認められ、同チームからスーパーカップイースタンシリーズのNA250クラスにエントリーすることになった。最初チームからは「125ccで走ってもらいたい」と言われていたが、僕は世界GP500ccクラスでチャンピオンになることだけが目標だったから、「今年も125ccクラスなんて考えていません!」と社長に伝えた。結局、チームとしても「何とか250ccクラスで走らせてみよう」ということになった。
シーズン前の練習では、国際A級のライダーや国内A級で何年も走っているようなベテランたちがたくさんいて、とにかく速い。「追いつかないと!」とめちゃくちゃ練習しまくって、開幕前にはマシンがボロボロになっていた。
開幕戦では周りがシェイクダウンしたてのピカピカのマシンでエントリーしてきているのに、僕のTZ250はボロボロ。でもおかげで何とか調整も進められて、エビスサーキットでの初戦からトップ争いすることができた。
僕がトップ、小倉直人さんが2番手。この2台で後続を引き離していたけれど、最終ラップのヘアピン入口で小倉さんが転んでしまい、後ろから追突されて僕もリタイア。あと半周ぐらいというところでのアクシデントでものすごく悔しかったけど、「オレでもトップを走れるんだ」という自信にもなった。
よく覚えているのは、シーズン半ばに筑波サーキットで行われたレース。このレースには大きな賞金が懸かっていて、国際A級のライダーたちが賞金稼ぎにエントリーしていた。このレースでも、とにかく速い国際A級のライダーと僕との一騎打ちになり、僕は2番手で懸命にトップに食らいついていた。
そして中盤、トップのライダーが転倒! 僕が後ろからプレッシャーをかけ続けたことで、「国内A級の16歳に負けられるか!」という焦りもあったのだろう。完全に後続は引き離していたから、そのままぶっちぎりで優勝した。
この時、僕は筑波サーキットで初めて、250ccクラスでのレース中に59秒台をマーク。「国際A級でも通用するペースで走れるんだな」とうれしかった。
シーズンを通しては、完走したレースはすべて優勝か表彰台だったけど、6戦しかない中で2戦転倒してしまったこともあり、ランキングは2番手だった。チャンピオンを獲れなかったことは悔しかったが、僕にとってスーパーカップは完全に通過点の一つ。チャンピオン獲得に関係なく、常に勝つ走りしかしていなかった。いつもとにかく全力でレースに臨んで、「負けるわけにはいかない!」と思っていた。
この年は、スーパーカップイースタンシリーズとは別に、筑波500km耐久レースにもエントリーした。SS250というクラスで、マシンは市販車250ccを改造したもの。OXレーシングからは、僕と森崎豊さんがペアを組み、TZR250で戦うことになった。
このレースも大きな賞金が懸かっていて、名門SP忠男レーシングのチーム員や国際A級ライダーがすごくたくさんエントリーしていたし、レースの注目度も高かった。予選は僕の走りでポールポジションを獲得。決勝レースでも、トップを走っていたが、森崎さんの走行中にマシントラブルでリタイアとなってしまった。でも、このレースでの僕の走りをブルーフォックスの岩崎監督が注目してくれていて、'93年へのオファーを引き出すことができた。
夏の間は2ヶ月ほどレースのない期間があったので、ダートトラックのレースにエントリーするためアメリカに渡った。すべては世界GPでチャンピオンになるためだ。
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