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ブルーフォックスからのオファーを受けて、この年は全日本選手権TT-F1クラスにエントリーすることになった。ものすごくうれしかったことを覚えている。というのは、「国際A級に昇格する年には、全日本TT-F1にエントリーしたいな」と思っていて、その通りになったからだ。しかもブルーフォックスといえばトップチーム。「世界GPに1歩近づいたな」という感触もあった。
本当は500ccクラスがベストだったけど、17歳で、しかも全日本1年目の僕がいきなり500ccなんてエントリーできるわけがないしな、と思っていた。500ccクラスは全員何かのレースでチャンピオンを獲ったような人か、力のある外人ライダーがエントリーしていて、とてもじゃないけど僕が戦えるような場じゃなかったからだ。だから「来年こそ500ccに乗るぞ!」と思っていた。
シーズンオフの間は、チームが前年に使っていたRC30で、鈴鹿や筑波を走らせてもらった。そして開幕1ヶ月ほど前になって、ブルーフォックスの社長に呼ばれ、いきなり「500ccで走ってくれ」と言われた。本当にいきなりのことだったので、もうビックリ! どうやら練習で着実にタイムアップする僕を見て、チームがホンダに掛け合ってくれたようだ。
「もう決まったことだから、500ccで走ってくれ」と言われたけど、500ccのマシンなんて跨ったことさえない。でもやっぱり走ってみたい。この上ないラッキーな話だったけど、不安もかなり強かった。「まあ来年から」と思っていた500ccクラスへのエントリーが、いきなり1ヶ月後になったのだから、今になって考えても動揺するだろうと思う……。この話の後、雑誌の取材をたくさん受けて、「やっぱり500ccクラスっていうのはすごいもんだな〜」と思ったりもした。
時期が時期だけに、さすがにそれほどテストはできなかったけど、92年型のNSR500で鈴鹿を走った時は、雑誌の取材に応えて「思ったよりもパワーがなくて乗りやすいですね」と言ったのを覚えている。NSR500なんて、日本人じゃ操れないようなモンスターマシンだと思っていたのに、いざ走ってみると「あ、こんなもんなんだ。乗れるんじゃん」というのが正直な感想だった。
ただ、それまで乗っていたRC30よりははるかに剛性が高くて、どんなに攻めているつもりでも、NSR500は余裕の挙動を見せるだけ。「これは自分の限界をどんどん高めていかないと」と思った。しかもチームメイトの岩橋さんは、僕より2秒近く速いタイムで走っている。「とにかく頑張らないと!」と、休みなしで必死に走った。
タイムは少しずつ上がっていったけど、結局それほど仕上がらないまま鈴鹿での開幕戦を迎えることに。「もうしょうがない」と、練習のつもりでレースに臨んだ。ただ、絶対にビリにだけはなりたくない。インタビューにも「ビリにならないように頑張ります」と答えた。
予選は後ろの方。12、3台しかエントリーがない中で、8番手か9番手だった。「みんな速ぇんだなぁ。明日のレースは長いし、体力を使うから、転ばずに最後まで走り切れればいいな。ビリにだけはなりたくないけど」と思っていた。
いきなりの500ccクラスエントリーと言うことで、注目もすごかった決勝スタート。すごく緊張していたせいか、スタートでいきなりエンストしそうになった。かろうじてエンジンは止まらなかったけど、1コーナーはビリ。「これはもうダメだ。自分のペースで走るしかないな」と気持ちを入れ替えた。ところが、なぜか毎周ごとにどんどん順位が上がっていく。まるで周りのペースが上がっていないかのような感じで、僕としては「アレ? なんでなんで?」と不思議で仕方がなかった。
スタートで大ポカをしてしまったことで、「注目されてるのに恥をかくわけにはいかない」「ビリにだけはなりたくない」とか、いろんなプレッシャーが吹っ切れたようだ。「ビリでもしょうがねーやぁ」と完全に解き放たれたら、自己ベストより1秒以上早いペースで走っていた。
最終ラップでチームメイトの岩橋さんまで抜いてしまい、結果は2位。トップは本間さんがぶっちぎっていたから追いつけなかったけど、ものすごくうれしかった。「ビリにはなりたくないな」なんて思っていたレースで2位になれるなんて、夢にも思っていなかったからだ。チームスタッフもオヤジも大喜びしてくれて、当時の僕にとっても最高の喜び。思わずうれし泣きしてしまった。
チームスタッフからは「コイツ、ちゃんと走れるヤツなんだ」という信頼を得ることができた。でも、周りには「まぐれだ」「まだまだ未知数だ」と言う人もいて、悔しい思いもあった。「一発屋じゃないところを見せてやる!」と、次戦以降に向けて内心すっごく燃えていた。
そして、次戦のSUGOではポール・トゥ・ウイン、筑波も優勝、鈴鹿は雨のレースで転倒してしまい、再びSUGOで優勝。ランキングでもトップに立った。チャンピオンのことは意識せず、前年と同じように、ただ勝ちに行くレースをするだけだった。
夏の間は1ヶ月ほどアメリカに渡り、ダートトラックのレース。せっかく体で覚えているスライドコントロールや、600ccの重いマシンをダートで速く走らせるテクニックを忘れたくなかったし、ロードレースでも、もっとこのテクニックを生かせるような走りになるまで、ダートトラックは続けるつもりだった。
第7戦SUGOは、TBCビッグロードレースとしてGPライダーもエントリーしていた。アレックス・バロス、伊藤(真一)さん、(青木)宣篤さんなど、目標の選手たちと一緒に走って、結果は3位。憧れのGPライダーと走れてすごく勉強になったし、表彰台に上がれたのはうれしかった。
そして迎えた最終戦・筑波。このレースにも、世界GPから伊藤さんと宣篤さんがエントリーしていた。絶対にチャンピオンは意識しないつもりだったけど、やっぱりプレッシャーがかかる。気にしないようにしていても、硬い走りになってしまった。
結果は4位。完走したレースとしては初めて表彰台を逃してしまった。チャンピオンは獲得できたけど、トップ争いについていけなかったことが悔しくて、レース後は悔し泣き。周りの人はうれし泣きをしていると思ったらしいけど……。
今となっては、93年全日本ロードレース500ccクラスでチャンピオンになったことは、素直にうれしいと思える。何よりも記録に残るし、人にも自分のキャリアが簡単に伝えられる。もし僕のこの年のランキングが2位だったら、誰も覚えていないだろう。実際、前年のスーパーカップでのランキング2位なんて、話題にもならない。それぐらい1位と2位の差は大きく、時が経てば経つほど差が開いていく。
全日本チャンピオンになったとは言っても、まだ僕にとって世界GPは雲の上の存在だった。ここまでの3年間はだいたい想定していた通りのことが、予想以上の早さで起こっていた。でも、「まだまだ世界の壁は厚いはず」「オレにはまだ早い」と、もっと地盤を固めるつもりだった。
だけど、せっかくチャンピオンを獲ったのに、翌年から500ccクラスがなくなると決まった。この時はさすがにがっくりきた。でも、TT-F1に代わって新しくスーパーバイククラスが始まる。「来年はスーパーバイクで今年のようないい走りをして、さ来年から世界GPに行くんだ!」と、気持ちを切り替えていた。
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