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この年から、いよいよ世界GP500ccクラスにフル参戦することになった。改めて気持ちを落ち着けて、「ここからが本当のGPシーズンなんだ」と、シーズンオフのテストに臨んだ。
僕が所属していたチームロバーツは、ウェイン・レイニーさんという偉大なチャンピオンを出したチーム。スタッフは「ウェインはこうしていたよ」と、僕にトッププロとしてのやり方をいろいろ教えてくれ、僕も「そうだったのか」と勉強しながらのテストをこなしていった。
しかしなかなかいいタイムが出せず、同じチームのルカ・カダローラの方がいつも速い。でもとにかくケガをせずに開幕を迎えられるように気を付けていた。
ところが開幕まであと1ヶ月に迫ったヘレスサーキットでのテストの2日目、多くの周回を重ねる中で転倒してしまい、とうとう鎖骨を折ってしまった。レイニーさんが診てもらっていたアメリカの病院に行って手術を受け、「開幕までには間に合うよ」と言われていた。
しかし日本に帰国して改めて診察してもらうと「骨がくっついていない」とのことだった。急きょ再手術をしてもらったが、日本の先生も心配してくれて、開幕戦オーストラリアGP(イースタンクリーク)には一緒に着いてきてくれた。
そんな厳しい状況で迎えた95年の開幕戦だったが、予選では驚くほどいいタイムが出て、4番手でいきなりフロントロー。これには周りの人たちもビックリだった。この年使っていたダンロップは、すごくグリップのいい予選用タイヤを用意していたので、一発タイムが出せたのだ。「うわ、こんなタイムが出るのか!」と、僕自身も驚いた。
4番手ということで、英語もほとんど話せないのにフロントロー会見に出ることになった。通訳もスタンバイしてくれていたのだが、頑張って直前に教えてもらった「アイム・ベリーハッピー。バット、アイキャント・ビリーブ・イット」とだけ英語で話して、記者たちには受けていたようだ。
しかし45分の長い決勝レースは、そう甘くはない。フロントタイヤがずるずるになり、何回か転びそうになってしまった。カピロッシに途中でパスされ、そのまま離されていったのが悔しかったのを覚えている。僕とカピロッシは同じ500ccクラス1年目同士だったからだ。
こんなふうに始まったシーズンは、初めてのコースばかりで、うまく行く時もあればうまく行かない時もあった。第4戦スペインGP(ヘレス)ではクリビーレとのバトルになり、最終ラップに抜き返されて4位。残念だったけど、表彰台争いのいいレースに、手応えを感じることができた。
そのまま勢いに乗りたかったが、その後の中盤戦は苦戦。頑張っても頑張ってもうまくいかず、何かが足りないような感じが続いた。
第9戦イギリスGP(ドニントンパーク)は、スタート直後の混戦の中で他車と接触し、リヤブレーキディスクが割れてしまい、すぐにピットイン。リヤホイールごと交換して再スタートした。ちょうど速い選手がいるタイミングでピットアウトして、周回遅れながらチームメイトのカダローラをパスすることができた。結果としては18位とノーポイントだったけれど、楽しいレースになった。
そして迎えた第11戦ブラジルGP(リオ)。このサーキットではこの年が初開催だったので、条件はみんな一緒だ。「自分の速さを見せてやろう!」と意気込んでいた。予選ではずっとトップタイムだったが、残り10分で3位に。決勝も3位で、世界GP初表彰台を獲得することができた。優勝はカダローラで、チームロバーツとしては1-3フィニッシュという好結果で、レース後はチームの祝勝会もあった。
でも、予選の内容の良さからすれば、決勝3位という結果は僕にとってはあまり満足できるものではなかった。勝ってもおかしくないと思っていたのに、カダローラとドゥーハンに離されてしまったからだ。
結局、表彰台に立てたのはブラジルGPでの1回だけだった。ランキングは9位。フル参戦初シーズンと思えば満足できる結果だけど、優勝することしか考えていなかったから、ランキングに関しては特別な感想はなかった。「コースも覚えたし、勝負は来年からだ」と思っていた。
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