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 前年の96年は初優勝と3回の表彰台と、トータル4回表彰台に立ち、ランキングも5位。関係者やファンの方たちの間でも、「97年はチャンピオン争いに加わるのではないか」と言われていた。
 前年までは、チームレイニーからのレンタルという形でチームロバーツからエントリーしていたが、この年はいよいよチームレイニーに変更。94年に初めて鈴鹿でGPを走った僕を見て、GPに引っ張ってくれたレイニーさんのチームだ。レイニーさんのためにも、いいシーズンにしたかった。
 97年のYZR500はフルモデルチェンジが行われた。95年、96年はほぼ同じマシンで軽い変更が施された程度だったが、97年はフレームからスイングアームから、全てが変わり、フィーリングも大きく変化した。
 シーズンオフのテストからなかなかいいセッティングが見つからず、苦戦。前の年のタイムさえ変更できなかった。シーズンが始まってからも、「どうすれば良くなるんだろう」と手探りが続いた。
 ヤマハのスタッフもセッティングの方向性をいろいろ考えてくれたが、なかなかうまくいかない。眠れない日々ばかりだった。ヨーロッパの真夜中、日本が朝を迎えている時間にヤマハに電話して、「こういうセッティングにトライしてみたい」という打ち合わせをしたりもした。
 印象に残っているのは、第5戦オーストリアGP(A1リンク)に、直接ニューパーツを持ってきてくれたヤマハのエンジニアと、真剣に語り合ったことだ。マシンの状況を説明したり、セッティングについての突っ込んだ話をしたり、とにかくいろいろな話をした。
 最終戦オーストラリアGP(フィリップアイランド)も他のレース同様苦しい戦いだったけど、その中ではまだ少しいい走りができて、やっとシーズン初表彰台を獲得。とりあえず表彰台を獲れたという安心感もあったけど、心から喜べる状況ではなかった。
 チーム監督のレイニーさんは現役時代に3年連続チャンピオンを獲っているような人だ。自分のチームのライダーがトップ争いできないなんて、考えられなかったと思う。たくさんアドバイスをしてくれたし、一緒に改善策を考えてくれた。
 GPに連れてきてもらった感謝の気持ちは、いい成績で返すしかない。ようやく獲った表彰台に「ようやくだね」と言ってくれて、少しホッとはしたけど、大喜びはできなかった。このシーズン、世界選手権のどのカテゴリーでも、ヤマハが1勝もできずに終わってしまったからだ。
 ヤマハのファクトリーライダーなら、やはりトップにならないと仕方がない。ロードレース最高峰クラスのエースライダーとして、大きな責任を感じた。

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