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99
99model
 シーズンオフに、ヤマハのファクトリー体制が大きく変わり、僕はサテライトチームのアンテナ3ヤマハダンティンからエントリーすることになった。YZR500も最新の99モデルではなく、前年の98モデルをそのまま使うことに。
 厳しい状況になって、もちろん悔しさはあったけど、97年、98年の結果からすれば、ファクトリーにはいられなくなることに自分でも納得できたし、「サテライトで結果を出してファクトリーに戻る!」という気持ちが強かった。
 初めてチームスタッフに会ったのは、オーストラリアでのテスト。「スペインのチームだし、英語は通じるのかな」なんて考えながらサーキットに着いてみたら、スタッフはたった1人しかいなかった。
「アレ?」と思い聞いてみると、どうやらヨーロッパからオーストラリアへのフライトの乗り継ぎに失敗したらしい。その後もぽつり、ぽつりという感じでスタッフがやってきて、ようやく全員集合したのは3日間のテストのうち2日目だった……。
 ここまで来ると、逆に「オレはそういうことを気にしちゃいけないんだ」「オレはとにかく速く走るんだ」という気持ちが強くなって、テストでもガンガン走りまくり、結構いい成果が得られた。
 テストではビアッジとチェカより速くて、頻繁にトップタイムをマーク。前年のマシンの印象が良かったのと、フィーリングが良かった最終戦のセッティングからの微調整を続けていたことで、仕上がり自体もよかった。
 今までGPではファクトリー体制でしか走ったことがなかったので、とにかくチームスタッフの動きがゆっくりなことに驚いた。やってほしいことが全然できていないことなんかザラだった。シーズンが始まってから苦労したくなかったので、僕からも細かく指示を出すようにして、テストを重ねるうちに徐々に形になってきた。
 開幕戦マレーシアGP(セパン)では、クラッシュに巻き込まれてしまいリタイヤしてしまったが、いい走りができていた。第2戦日本GP(もてぎ)では、雨のレースで3位。「これはいい風が吹いているぞ!」と、ヨーロッパラウンドではもっといい走りをしようと気合いが入った。
 シーズン中盤は、いい時も悪い時もあるという感じで波があった。攻め込んでいった時の転倒が増えてしまい、もったいないと言われるようなレースも多かった。
 そして第15戦ブラジルGP(ネルソン・ピケ)では、ロバーツ、ビアッジとの3台のトップ争いになった。ずっと僕がトップを走っていたのだが、最終ラップに2人にかわされ、一時は3位に。何とかトップを奪い返したけど、最終コーナーの入口でビアッジに抜かれてしまった。
 でもラインがクロスして、僕が前に出て、そのままトップでチェッカー! もうホントにうれしくて、ウイニングランでは涙が止まらなくて、まともに走ることさえできず、ピットに帰るのが精一杯だった。
 96年に優勝して以来ずっと勝つことができず、99年も終盤に差しかかってようやくの勝利。「もしかしたらもう2度と勝てないんじゃないか」という思いもあった中、バトルに競り勝つことができて、涙があふれてどうしようもなかった。
 3人とも精一杯の力を出し切ったレースだったから、表彰台はとても雰囲気が良かった。ロバーツとビアッジも僕を気持ちよく称えてくれて、僕としてもうれしかった。
 翌週の最終戦アルゼンチンGP(ブエノスアイレス)は、リオでのいい波に乗ったまま決勝を走ることができて、ロバーツ、ビアッジに続く3位に。表彰台の顔ぶれは前回のリオGPと同じだった。
 優勝、そして表彰台と、納得いくかたちでシーズンを終えることができた。シーズン中も調子はまずまずだったので、ヤマハも新しいパーツを回してくれて、最終的には98モデルと99モデルの中間ぐらいのところまで、マシンも進化した。
 チームとしても、まとまりがすごく良くなった。そして何よりも、チームが初めて扱う500ccマシンでの優勝、そして表彰台で、サテライトチームでもトップ争いができることが分かり、スポンサーを含めてみんなが満足してくれた。

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